関電トンネルトロリーバスの最期と黒部の太陽ウィーク

皆の者、「トロリーバス」という車をご存知だろうか?
立山黒部アルペンルートの関電トンネルと立山トンネルで運行されておる至極珍しいバスじゃ。
バスとはいえ、ガソリンではなく二本のポールで架線から電気を得て走っておる。すなわち、電車の一種というわけじゃ。
トロリーバスは俗に「トロバス」と呼ばれる。このあとは拙者も、「トロバス」と呼ぶことにしよう。
01. “トロバスラストイヤー”とは、なんぞや
さて、本題だが、関電トンネルトロリーバスが、本年(2018年)をもってその姿を消すという知らせを耳にした。
そもそも、トロバス(関電トンネルトロリーバス)は1964年、東京五輪が開催され、新幹線が東京ー大阪間を走り始めた年に開業された。これまでに6000万人以上の客人たちを運んできたというから大したものじゃ。
さらに驚くべきことは、昭和から平成へと世の中が大きく変化した中でも、トロバスは54年前とほぼ変わらぬ姿で走り続けておることじゃ。
立山黒部アルペンルートを開通させた関西電力では、黒部の自然環境を守るために、排気ガスの出ない電気を動力とする交通手段を選んだ。昨今流行りの「クリーンエネルギー」というものじゃ。54年前にその決断をした先人たちの先見の明には、感服せざるを得ない。

来年からは、新型の電気バスに代替わりするトロバス。最大限の敬意をはらって、見送ってやろうじゃないか。

02.トロバス最大の名所を見逃すなかれ
トロバスは、我ら佐々成政おもてなし武将隊の任地である信濃大町の扇沢駅から発車する。
関電トンネル内を走行し、わずか16分で黒部ダム駅に到着する。トロバスは揺れが少なく静かだからと言って、居眠りすることなかれ。この関電トンネルこそ、眉に唾をつけて、しかと見届けてもらいたい産物じゃ。
関電トンネルに入って5分ほど走ると、前方に青白い光線が見えてくる。そして、坑道の両側に「ここから破砕帯」の電光掲示板。青い光に照らされた80メートルの破砕帯こそ、突破するまでに7ヶ月もの月日と、多くの工人たちの血と汗が流されたくろよん最大の難所である。

【破砕帯とは…】
「破砕帯(はさいたい)」を知らぬ世代のために、豆知識を進ぜよう。
時は、1956年8月。黒部ダムと黒部川第四発電所(通称「くろよん」)建設工事が始まった。ダムは標高3000メートル級の立山連峰と後立山連峰の間にダムを建設するという壮大な計画。後に「世紀の大工事」と呼ばれる。
とりわけ、“くろよん建設最大の難所”と呼ばれたのが、大町トンネルの掘削じゃった。
大町側から約1691メートルの地点でぶち当たったのが「破砕帯」である。
「破砕帯」とは、断層の一部。断層活動により岩盤が細かく砕け、地下水を溜め込んだ軟弱な地層で、当時、摂氏4度の地下水と土砂が毎秒660リットルも噴き出した。掘削は一時中断したものの、破砕帯突破に向けて、トンネル工法の権威者の知識と経験が集結した。7ヶ月にわたる苦闘の末、1957年12月、ついに破砕帯を突破したのである。

03.「黒部の太陽ウィーク」に乗り遅れることなかれ
破砕帯突破のドラマをもっと知りたいという者は、ぜひ映画『黒部の太陽』を見るように。
拙者が冬のザラ峠を「なんとしても越えたい」と切に願って行動したように、「なんとしても黒部にダムを建設したい」と意を決した男たちの史実に基づく物語じゃ。
この映画が上映されて50年となる今年は、黒部ダム新展望広場に特設会場が設けられ、黒部ダム建設の歴史を語るパネルや映像、そして、映画「黒部の太陽」の撮影セットが展示されておるぞ。

我らが信濃大町では、トロバスラストイヤーと『黒部の太陽』公開50周年を記念して、各所でイベントが開催される。期間は8月1日から19日まで。
ぜひこちらのページを検分していただきたい。
