大町山岳博物館お宝見聞記

今回は拙者、建部兵庫が殿に変わって我らが信濃大町の「山岳博物館」についてレポートしよう。
「大町山岳博物館」は、1951年(昭和26年)に開館した、日本で初めての山岳博物館。
なんでも、北アルプスの自然や山と人々の関わりの歴史など、さまざまな史料が展示されており、その中には我らが殿・佐々成政公の名も登場するらしい。
大町山岳博物館は、俗に「山博(さんぱく)」と呼ばれておる。このあとは、拙者も「さんぱく」と呼ぶことにしよう。
01 さんぱく見参!

そもそも、さんぱくは何処にあるのか?
方位は、大町市の北西部。信濃大町駅から車馬を5分ほど走らせた鷹狩山の中腹にある。世に聞く北アルプスや黒部ダムとは反対側の山である。
山岳博物館というからには、信濃大町を訪れる登山者が登山の前や下山後に来館する例が多く、拙者が参ったその日にも、登山靴を履いた客人を多く見かけた。

ここでもう一つ、我らが信濃大町の「日本で初めて」を紹介するぞ。
信濃大町は、我が国初の山岳博物館ができただけではなく、日本で初めて山岳ガイド組織が誕生した地でもある。
それは、1917年に設立された「大町登山案内人組合」なる組織。まだ登山道が整備されていない時代、客人たちが安全に登山するためには、山の地理に精通し、山中での暮らしに熟練した案内人の存在は、必要不可欠だった。
そして、登山案内人組合の発起人は、登山家の百瀬慎太郎という人物。
百瀬は、歌人でもあり、「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」という名句を残している。なかなか味わい深い句ではないか。
02 必見!さんぱくのお宝。

さて、話を「さんぱく」に戻そう。
1階の展示室で、まず見ていただきたいのは、我らが殿、佐々成政公の肖像画。拙者もお供した冬の「さらさら越え(針ノ木峠越え)」についても1890年の芝居絵とともに紹介されている。遥か時を超えて、多くの人々に語り継がれているとは、幸いなことだ。
それはさておき、拙者が最も気に入ったのは、「雪の立山・針ノ木峠越え」の映像である。というのも、この映像は1923年(大正12年)に撮影されたもので、先述の百瀬慎太郎らが、殿の「さらさら越え」の真偽を実証するため、1月から3月の厳冬期に、越中芦峅寺(あしくらじ)から入山し、雪の立山と針ノ木峠を越えた記録なのだ。
百瀬ら総勢20名の一行は、18日間かけて信濃大町への下山に成功したという。なかなかやるな。
03 さんぱく、天晴れ!

山と人々の歴史に思いを馳せた後は、二階へ参ろう。二階の展示室は一階とはうって変わって明るい。ここでは、山の成り立ちについて、化石や岩石に触れながら、学ぶことができるぞ。

さらに、信濃大町に棲息する生物の剥製などが詳細に展示されている。特に、さんぱくが力を入れて研究してきたニホンカモシカとライチョウの生活史は必見だ。

山の歴史と文化、そして生態系について学んだ後は、少々息抜きを。3階へ上がると雄大な北アルプスの山並みが展望できる一室が設けられているぞ。
座って眺めるも良し、望遠鏡で見物しても良し。北アルプスに対座するこの場所にさんぱくを作った者たちの先見の明に関心するだろう。
04 続・さんぱくのお宝。

最後に、もう一つ、書き留めておこう。それは、屋外の付属園のことだ。付属園では、北アルプスやその周りで見られる動植物を展示・研究し、傷病鳥獣の保護や種の保全という重要な任務が行われている。2016年度からは、国の特別天然記念物であり、絶滅危惧種でもあるライチョウの飼育が行われておるのはご存知だろうか?

現在、日本固有のライチョウの姿は公開されていないが、ロシア産のスバールバルライチョウの姿は見ることができるので、ぜひ足を運んで見てほしい。子供たちもきっと喜ぶだろう。
ここで、最後まで読破された皆に朗報だ。来たる2018年9月8日(土)に催される「信濃大町 山フェス2018」の当日、なんと、さんぱくが終日無料開放されるぞ。
学芸員によるガイドツアーや、ミュージアムトーク、スタンプラリーなども企画されている。ぜひ、こちらのページをご覧あれ。


Information
■住所:〒398-0002 長野県大町市 大町8056−1
(JR大糸線信濃大町駅より博物館まで、徒歩25分、車5分)
■開館時間:9:00〜17:00(※入館は午後4:30分迄)
■休館日:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始
(※月曜が祝日の場合は開館、翌日休館となります。7月 8月は無休。)
■TEL :0261-22-0211
■大町山岳博物館のホームページはこちら▼
http://www.omachi-sanpaku.com/